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最上義光【弟、息子、娘、正室を失って得た山形57万石】 [最上義光]

じゃ~ん、突然ですがクイズです。

Q1.織田信長、伊達政宗、三好長慶の人生で共通して行った事は?
Q2.大友宗麟、斉藤義龍、武田信玄の人生で共通して行った事は?
Q3.徳川家康、武田信玄の人生で共通点して行った事は?





おわかりですか??





それでは回答

A1.弟を殺害している
A2.父親と揉めている
A3.長男を殺している

戦国時代は本当に厳しい時代で親子兄弟が血で血を争っていた時代なんですね。。

今日ご紹介するのは永岡慶之助氏の「最上義光」です。
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この最上さん、父親と揉め、弟を攻め滅ぼし、挙句の果てには長男を暗殺してしまう(諸説あり)という、最初のクイズをすべて経験した人なのです。

義光は伊達政宗の伯父さんとしての方が有名ですかね?最上家のお家騒動から家督を得た義光jは徐々に勢力を拡大し、血縁関係の伊達家と時には戦いながら時代は過ぎ、小田原征伐の際に参陣して豊臣秀吉よりなんとか本領安堵を得ました。

その後、義光はまだどの大名も行ってなかったことをします。それは秀吉でなく、徳川家康のもとに人質として次男の家親を差し出します。これは先見の明がありましたねー。

ところが悲しい話も。。義光には駒姫というとても可愛がっている娘がいたのですが、豊臣秀次が気に入り、
側室として差し出せと言われました。権力には逆らえず泣く泣く差し出したのですが、なんと秀次が秀吉に切腹を命じられた際に駒姫も連座して殺されてしまい、義光に謀反の疑いまでかけられる始末。しかも、あまりの悲しみのショックで奥さん(駒姫のお母さん)がなくなってしまうという2重のショックが続きました。

もう、こうなれば完全に秀吉FxxK offですよ。関が原の戦いでは俄然東軍。上杉景勝/直江兼続に攻められながらも撃退し、領地は倍増。山形57万石の大大名へとなりました。家親を家康の人質に入れておいて本当によかったと思ったでしょう。。

が、この家親が問題に。。

義光には義康という優秀な長男がいたのですが、家康は自分の手元で育てた家親がかわいく、家親の最上家を継がせたいと考えました。権力に弱い義光。。長男を暗殺し、家親に最上家を継がせます。(この小説でのストーリーです。)

義光は山形57万石を守り亡くなりました。これで最上家も安泰であろうと。。。

が、

が、、

なんと、この家親がすぐに亡くなってしまうんです。後を継いだのは家親のまだ小さい子供。家臣たちの中に家親の弟を藩主にしたほうがいいのでは考える派閥ができ、対立。この揉め事が幕府に伝わりあえなく最上家は改易となります。

義光は戦国武将の中でもトップレベルの波乱万丈な人生を送ったと思います。大河ドラマでやってもストーリーだけなら視聴率取れるんじゃないですかね?

義光の人生に興味がある方はぜひお読みください!

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墨染の鎧【恵瓊の見立てはえぇ~け~のぅ】 [安国寺恵瓊]

今回は「天地人」でお馴染み、火坂雅志氏の「墨染の鎧」をご紹介します♪
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「信長之代、五年、三年は持たるべく候。明年辺は公家などに成さるべく候かと見及び申候。左候て後、高ころびに、あおのけに転ばれ候ずると見え申候。藤吉郎さりとてはの者にて候」

信長の絶頂期に信長の将来が危ないことを予測して、多くの家臣団の中から秀吉が台頭してくることを予測していたことで有名な安国寺恵瓊が主人公です。戦国時代には大名同士間の交渉を行う外交僧が多くいましたが、恵瓊も毛利家の外交僧として活躍した人です。ただ、他の外交僧と違うのは大名の出身ということ。恵瓊は名門安芸武田氏の出身でお父さんが毛利元就の攻め滅ぼされた後、父親の敵である元就に仕えることになります。

恵瓊が世に出るようになったのは、羽柴秀吉が備中高松城を水攻めにしていた際の毛利側の交渉役を務めていたころですかね?その最中に本能寺の変が起き、信長が死んだことを知りましたが、秀吉の世の中が来ることを予測していた恵瓊は小早川隆景と共に秀吉を追わなかったといわれています。

そのことが評価されたのか、秀吉の出世と共に恵瓊も出世していき、とうとう伊予6万石の大名にまでなります。
秀吉の死後、恵瓊は豊臣家を守るために石田三成とともに反家康派として、主君の毛利輝元を西軍の総大将に担ぎ出すことに成功しましたが、関が原の戦いでは、恵瓊軍の前に東軍と誼を通じていた吉川広家が戦いに
参加しなかったため、結果的に軍を動かすことができず、西軍は敗退。京都に逃げた恵瓊は捕まり、三成、小西行長と共に斬首されました。

その後、毛利家は大幅に領地を減らされたため、恵瓊はその張本人とされ、しかも頭でっかちの僧だったためかなんとなく悪役のイメージがついてますが、田舎者(失礼!)の集まりの毛利家に京都の東福寺で修行をしていた恵瓊が中央での情報を持ってきていたからこそ、毛利家は存続したのではとも考えられます。

さてこの小説、若いころの全国を旅する恵瓊が描かれるなど興味深い内容になっています。しかも最後には恵瓊にとんでもない秘密があることが!!


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