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上田城訪問記1【デカいぜ!上田城!!】 [城-長野県]

今回は徳川の大軍を2度も退けた真田昌幸の居城、長野県は上田城を紹介したいと思います♪

いつものように地図で確認。
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ピンクのマルが上田城の本丸です。第1回目は黄色のマルの大手門跡と赤マルの藩主居館跡(上田高校)を訪ねます。

「城攻めは大手門から」JR上田駅から大手門跡に向かいます。

途中のセブンイレブンの入っているビル
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よく見ると・・
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盛り上がってきたところで大手門到着。このクランチが大手門の跡なんです。なんだかここから昌幸のワナが仕掛けられているような気がしませんか?
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大手門の説明。
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大手門から三の丸に入り、3分くらい歩くと、、、
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なんだかお城っぽい感じ。動画でもどうぞ♪

ここが藩主居館の跡になります。
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上田城の歴史については次回以降でまとめて説明しますが、関が原の合戦で西軍が敗れると真田昌幸・幸村親子は九度山に流され、上田城は幸村のお兄ちゃんの信之に与えられました。徳川にとっては憎き上田城。家康の命で上田城は破却されました。破却されたからなのか、上田城に住むことにの信之なりの遠慮なのか、この三の丸に居館を造り、信之以降の歴代の藩主もここを居館としました。

説明文を一気にお見せします。表門は1790年に造られて現存しているものとのこと。現在はそのまま上田高校の正門になっています。城跡で勉学に励むというのはどんな感じなんですかね??
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正門の反対側。古図によると、ここにも入り口があったようですが、この石垣は昔からのものなのでしょうか??
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上田城というと本丸入り口の二つの櫓のイメージしかないですが、居館跡に門や塀が現存しているのは知りませんでした。見せ場があるじゃないですかー。大手門から二の丸の入り口までも300m以上はあると思います。誰ですか上田城を小城といったのは??でっかい城ですよ、ここは。

次回は二の丸に潜入します。お楽しみに♪

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道明寺合戦古戦場訪問記3【薄田兼相の戦死の地】 [古戦場-大阪府]

道明寺合戦古戦場訪問記も最後の第3回になります!
(年を越してしまいましたが。。)

午前中に後藤又兵衛が小松山で戦死、午後になると徳川軍は石川を渡河して進軍します。大きく遅れて到着したのが、薄田隼人正兼相。兼相は近くの誉田八幡宮に陣を構えていました。

で、ここが誉田八幡宮。
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碑が建っています。
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そして解説板
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兼相はここから出撃していきました。


「つーか、兼相って誰よ?」


そんな声が聞こえてきましたので、ここで解説を、、、したいのですが、兼相の経歴についてはあまり知られていません。一番有名なのは「岩見重太郎」と同一人物らしいということ。「岩見重太郎」は講談や歌舞伎などで知られ、天橋立で父の仇討ちを成し遂げたという人物らしく、江戸時代は非常に人気があったとのこと。
私も知りませんでした。。

兼相は小早川隆景に仕えており、その後豊臣秀吉、秀頼に仕え、大阪冬の陣が起ります。冬の陣で兼相は木津川沿いの砦(博労淵)の守将でした。この砦を突破されると、もう大阪城は目の前という重要な場所にあったのですが、徳川方の功名争いを発端に、突然攻撃されました。

豪傑で名が通っている岩見重太郎と同一人物である兼相が守将ですから、軽くあしらって、、、

あれ?
兼相が砦にいない。。

なんと、兼相はこの時おねーちゃんところに遊びに行っており、泥酔中でした。。

守将のいない砦は士気が上がらず、結局は砦を撤退。留守居の平子主膳も討ち取られるという散々な結果となりました。

兼相は味方から「役立たず」嘲られ、この夏の陣を汚名挽回の場と決めておりました。

兼相が出撃した際にはまだ、真田幸村、毛利勝永は到着していなかったため単独で徳川方との戦いとなり、多勢に無勢、討ち取られてしまいました。。

西名阪自動車道の脇の住宅街の中(すんごいわかりにくい。。)に兼相の墓があります。兼相の子孫がこの地で戦死したとして、墓を建立したそうです。
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お墓の全体
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お墓の隅には「大阪夏陣奮戦場」の碑があります。
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兼相の戦死後、やっと幸村と勝永が到着。残存兵を収容し、幸村と勝永は翌日の決戦に臨むため撤退していきました。。


兼相のお墓は天王寺の方にもあるようです。今度は八尾、若江の古戦場も言ってみたいですね!


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