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真田三代【真田幸村の叔父さんの話】 [真田信尹]

今回は「天地人」で有名なの火坂雅志氏による「真田三代」を紹介します。

「真田三代」は幸隆、昌幸、幸村(信繫)を挙げており。幸村が大阪夏の陣で死んだところで終わっています。この小説はもともと地方新聞で連載されていたものですので、連載期間のボリュームがあるかと思いますが、たとえば池波正太郎の「真田太平記」は幸村が死んだ後のお兄ちゃんの信之がいかに真田家の家名を守っていったかまでが描かれていたのですが、これでこそ本当の「真田三代」ですよね。そういった点では信之の人生まで描かれていない点がちょっと残念ですが、幸村の代のボリュームは結構少なく、幸隆が武田信玄の下でどのように真田家を再興していったかの描かれているボリュームが大きい点は評価してもよいのでは、と。

さて、今回紹介しようと思う武将はやはり真田家の人間なのですが、このブログをお読みになられている方が知っている真田家の武将は、

幸隆
その子の信綱、昌輝、昌幸
昌幸の子の信幸(之)、幸村(信繫)
信幸の子の信吉、信政、幸村の子の大助

といったところではないでしょうか?

「真田三代」にも出てくるのですが幸隆の子、そして昌幸の弟に真田信尹という人がいました。幸村、信幸にとっては叔父さんにあたる人です。

この信尹は、武田信玄のもとで加津野家の養子となり、加津野信昌と名乗ってました。武田家が滅亡後、なんと信幸よりも前に徳川家康の家臣になりました。

本家の昌幸、幸村は徹底して家康に逆らっていましたが、信尹は家康の家臣として旗本としての真田分家の祖となりました。信尹は大阪の陣の際に家康の命で幸村を訪れ、「大坂城から出れば信濃一国を与える」という交渉をしましたが、幸村に一蹴されたとの話も残っています。

信之の残した大名真田家以外にも分家の旗本真田家がいたのは、ご存知なかった方を多いのではないでしょうか?まだまだ戦国時代は知らない武将ばかりですね♪

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