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戦国ニュース【横山城に新事実が・・・】 [その他]

今日はマニアックな城ネタです。ついてきてくださいよー。
横山城の話です。「横山城=羽柴秀吉」とつながった人。すばらしい!なかなかの戦国(城?)マニアですな。

まずは横山城の歴史から。

横山城というのは近江国にあった城です。もともと浅井長政が六角承禎に対抗するための城として作られたのですが、浅井・朝倉連合軍と織田・徳川連合軍の戦い「姉川の戦い」で織田・徳川連合軍が勝利した後に攻略されました。この横山城は浅井長政の居城小谷城から6~7kmしか離れていないため、姉川の戦い後に浅井の監視する拠点として、羽柴秀吉が城代として入城していたんですね。

その後、浅井家が滅亡するとその領地は秀吉に与えられ、秀吉は長浜に城を作り、横山城は廃城となって歴史上から姿を消したのです。。

というのが昨日までの話。新しい事実が発覚したのです!

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土塁、秀吉が改修補強か 長浜・横山城 2期にわたり築造確認
http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2009090900193&genre=M2&area=S00

滋賀県長浜市東部の中世の山城・横山城遺跡(同市石田町など)を調査している長浜市教委は9日、遺跡南側の主郭(しゅかく)跡で確認されていた土塁が戦国時代に2期にわたって築造されていたことが分かった、と発表した。曲輪(くるわ)内から掘立柱建物の柱穴が初めて出土した。

 土塁は防御施設として設けられ、まず岩盤を削って幅約2メートル、高さ0・5メートル(現存部分)規模で築造。2度目は、そこに土を盛って幅約4メートル、高さ0・7メートルに改修。土塁内から16世紀初め以降の土師(はじ)器などが出土した。

 横山城は、織田信長の小谷城攻めの際の前線基地として、城番を務めた羽柴秀吉が城を修築したとする文献もあり、市文化財保護センターは賤ケ岳の戦い(1583年)に備えて秀吉が土塁を改修補強した可能性があるとしている。

 掘立柱建物の柱穴は、調査地東部の平たん部で15個見つかった。直径30~50センチ。兵士が駐屯した簡素な小屋とは異なるため、城番の武将がいた建物とみられる。

 横山城は京極氏が築造し、信長軍が姉川の合戦(70年)で浅井・朝倉軍を破った後、秀吉が小谷城攻めの拠点として陣取った。中世城郭に詳しい中井均聖泉大非常勤講師は「秀吉が2度にわたって横山城とかかわったことが考古学的に確認できた意義は大きい」と話している。

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なんと、廃城されたと考えられていた横山城が賤ケ岳の戦いに備えて改修された可能性が出てきたんですね。しかも両方とも秀吉がかかわっている可能性が高いらしいです。

お城の新事実が発覚するのは面白いですねー。

ちなみに横山城の記事は他の新聞にも掲載されていたのですが、京都新聞の写真の土塁が一番分かりやすかったです。


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