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戦国武将列伝10月号 [石川数正]

今回はリイド社の戦国武将列伝です。なんでも今月号から2ヶ月に1回の発行ペースになったようです。人気があるんですかね?
http://www.leed.com/act/Detail.do?id=13893-10

現在戦国武将列伝では「徳川家康」、「直江兼続」、「戦国の猿」、「真田幸村」が連載しています。(「前田利家」は今号で終了)そのなかの巻頭カラーの「徳川家康」では石川数正の出奔の場面でした。

小牧長久手の戦い後、豊臣秀吉との和平交渉を担当していた数正は家康に上洛を進めますが、その意見は取り入れられず、他の家臣達とも仲が悪くなる中で、城代だった岡崎城から出奔してしまい、秀吉の家臣になってしまいました。その後朝日姫や大政所が送られた家康はとうとう上洛します。そこで数正から秀吉と交渉で会っているうちに秀吉の実力を知り、徳川家のことを考えて出奔したので秀吉に臣従したほうがよいといわれ家康は秀吉の臣下になることを決意します。

徳川家の家老であった石川数正の出奔により、秀吉に徳川家の軍制がバレバレとなってしまいました。そこで信濃、甲斐侵攻の時に武田の遺臣を多く登用したこともあり、武田流に変更をすることになりました。それくらい大きなことだったんですね。

数正の出奔の理由はいまだ明確な理由は明らかにされていませんが、秀吉がなかなか上洛してこない家康の家臣団を分裂させるために数正を調略したんじゃないですかねぇ?秀吉の家臣になった数正は信濃松本の10万石の大名となりましたが、用なしになったのかあまりパッとしていないんですよね。。家康が秀吉送り込んだという説もありますが、数正の子の康長が関ヶ原の戦いで東軍に加担したのにその後改易されてしまったのを考えると、その説の可能性は低いのかな、と。

以前このブログに片倉景綱が秀吉にスカウトされたことを書きましたが、そのほかに直江兼続もスカウトされたのは有名な話ですよね。数正は有力大名の家臣で秀吉のスカウトに応じた唯一の例ということになりますね。よかったかどうかは別ですが。。。


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