前の5件 | -
ありがとうございます!【40万アクセス突破!!】 [その他]
いつも「戦国ネタブログ」をご覧いただきましてありがとうございます。
皆様のおかげで「戦国ネタブログ」はこのたび40万アクセスを突破しました!
もし世の中にこのブログを楽しみにしていただいている方がいらっしゃいいしたら更新が遅れていること深くお詫び申し上げます。ちょっと週末忙しくて。。。
遅筆なため書評でも3時間、お城訪問記は5時間以上かけて更新しておりますので、なかなか時間がとれません。
でも更新をやめているわけではありませんので、引き続きよろしくお願いします!!
fuzzy
戦国時代ブログランキング参加中。「fuzzy、ガンバレ!!」といっていただける方、応援のクリックをお願いします!!!

にほんブログ村
皆様のおかげで「戦国ネタブログ」はこのたび40万アクセスを突破しました!
もし世の中にこのブログを楽しみにしていただいている方がいらっしゃいいしたら更新が遅れていること深くお詫び申し上げます。ちょっと週末忙しくて。。。
遅筆なため書評でも3時間、お城訪問記は5時間以上かけて更新しておりますので、なかなか時間がとれません。
でも更新をやめているわけではありませんので、引き続きよろしくお願いします!!
fuzzy
戦国時代ブログランキング参加中。「fuzzy、ガンバレ!!」といっていただける方、応援のクリックをお願いします!!!
にほんブログ村
織田信忠【信忠はなぜ信長と共に京都で死んだのか?】 [織田信忠]
12月になって初めての更新です。バタバタしてたもんで。。。
さて、今回はマニア武将の小説で有名な(?)近衛龍春氏の「織田信忠」から織田信忠を紹介します(そのまま。。)。
信忠はご存知、織田信長の嫡男です。あまり生涯について知られていませんが、これは信長が中央を制覇する後半になって一軍団として組織されたのと明智光秀に信長が本能寺を攻められたときに同時に攻められて死んでしまったからだと思われます。
この「信忠はなぜ逃げなかったのか?」というのはいまだに謎としてあります。
明智光秀が本能寺の信長を攻めた時に信忠は近くの妙覚寺に宿泊していました。光秀に本能寺が囲まれていることを知り、信長の救出に向かおうとしましたが、既に信長が自刃し、寺は燃えている事を伝えられます。この後、信忠のとった行動は妙覚寺の向かいにある堅固な造りの二条新御所に入り、ここで光秀軍と対決し、奮戦むなしく自害したのです。
「明智光秀ほどの武将が信忠を逃すような間抜けなことはしない」という見方もありますが、実はこの時に信忠と一緒にいた叔父さんの長益(有楽斉)はどさくさに紛れて逃げ、生き長らえていることから、逃げるチャンスは十分にあったのではと考えられます。信忠は数百の兵を持っていたことから全力で安土城まで戻り、留守居役の蒲生賢秀と共に安土城で籠城もしくは賢秀の居城の日野城まで逃げ、柴田勝家らの援軍を待つという方法はとれなかったでしょうかね?
この時26歳とまだ若かった信忠ですから、自分の父親が討たれたのに逃げ出すというのをよしとしなかったのかもしれません。もしくは仮に生き残ったとしても信長なしで織田家を支えていくのは無理と判断したか。。でも史書によりとこの信長と信忠は仲が悪かったという説もありますので、むしろ信長がいない方がのびのびとやれるような気もしますが。。
信長自体は朝倉攻めの時に浅井親子に裏切られたのを知るや否や、真っ先に逃げ出しており、逃げることは悪いことではないと信忠は知っていたと思いますが。。
ともあれ、謎の信忠の死ですが、もし信忠が京都から逃げていたら、羽柴秀吉の天下はなかったかもしれませんね。
戦国時代ブログランキング参加中!「興味深い。。」と思った方は応援クリックお願いします!
↓

にほんブログ村
さて、今回はマニア武将の小説で有名な(?)近衛龍春氏の「織田信忠」から織田信忠を紹介します(そのまま。。)。
信忠はご存知、織田信長の嫡男です。あまり生涯について知られていませんが、これは信長が中央を制覇する後半になって一軍団として組織されたのと明智光秀に信長が本能寺を攻められたときに同時に攻められて死んでしまったからだと思われます。
この「信忠はなぜ逃げなかったのか?」というのはいまだに謎としてあります。
明智光秀が本能寺の信長を攻めた時に信忠は近くの妙覚寺に宿泊していました。光秀に本能寺が囲まれていることを知り、信長の救出に向かおうとしましたが、既に信長が自刃し、寺は燃えている事を伝えられます。この後、信忠のとった行動は妙覚寺の向かいにある堅固な造りの二条新御所に入り、ここで光秀軍と対決し、奮戦むなしく自害したのです。
「明智光秀ほどの武将が信忠を逃すような間抜けなことはしない」という見方もありますが、実はこの時に信忠と一緒にいた叔父さんの長益(有楽斉)はどさくさに紛れて逃げ、生き長らえていることから、逃げるチャンスは十分にあったのではと考えられます。信忠は数百の兵を持っていたことから全力で安土城まで戻り、留守居役の蒲生賢秀と共に安土城で籠城もしくは賢秀の居城の日野城まで逃げ、柴田勝家らの援軍を待つという方法はとれなかったでしょうかね?
この時26歳とまだ若かった信忠ですから、自分の父親が討たれたのに逃げ出すというのをよしとしなかったのかもしれません。もしくは仮に生き残ったとしても信長なしで織田家を支えていくのは無理と判断したか。。でも史書によりとこの信長と信忠は仲が悪かったという説もありますので、むしろ信長がいない方がのびのびとやれるような気もしますが。。
信長自体は朝倉攻めの時に浅井親子に裏切られたのを知るや否や、真っ先に逃げ出しており、逃げることは悪いことではないと信忠は知っていたと思いますが。。
ともあれ、謎の信忠の死ですが、もし信忠が京都から逃げていたら、羽柴秀吉の天下はなかったかもしれませんね。
戦国時代ブログランキング参加中!「興味深い。。」と思った方は応援クリックお願いします!
↓
にほんブログ村
歴史読本12月号【石田三成の優秀なお兄ちゃん】 [石田正澄]
歴史読本12月号は「戦国武将の兄弟」と題したなかなか興味深い内容。
http://www.jinbutsu.co.jp/rekidoku/
武田信繁と信玄、真田信之と信繁、島津義弘と義久など有名な戦国武将の兄弟はいますが、皆さん、石田三成のお兄ちゃんについてご存知ですか?いかにも一人っ子ぽい三成ですが実は優秀なお兄さんがいたんです。
三成のお兄ちゃんの名前を正澄と言います。
正澄は三成と同様に文官として秀吉のもとで活躍し、堺の代官に任命されました。また三成はご存知の通り冶部少輔の役職でしたが、正澄は木工頭に叙位任官していました。
正澄は秀吉死後、三成が佐和山に引退した後も、堺の代官として中央政界で活躍していましたが、三成が打倒家康の兵を挙げると佐和山城の守備のために入城しました。
そして、関ヶ原の戦いでの西軍の敗北。東軍はそのまま佐和山城を攻め、正澄は父親の正継と共に自害しました。
正澄は弟のようにメジャーではありませんが、秀吉の側近としての取次役として重要な役割を担っていたようです。
戦国時代ブログランキング参加中!「勉強になった!」という方は応援クリックお願いします!
↓

にほんブログ村
http://www.jinbutsu.co.jp/rekidoku/
武田信繁と信玄、真田信之と信繁、島津義弘と義久など有名な戦国武将の兄弟はいますが、皆さん、石田三成のお兄ちゃんについてご存知ですか?いかにも一人っ子ぽい三成ですが実は優秀なお兄さんがいたんです。
三成のお兄ちゃんの名前を正澄と言います。
正澄は三成と同様に文官として秀吉のもとで活躍し、堺の代官に任命されました。また三成はご存知の通り冶部少輔の役職でしたが、正澄は木工頭に叙位任官していました。
正澄は秀吉死後、三成が佐和山に引退した後も、堺の代官として中央政界で活躍していましたが、三成が打倒家康の兵を挙げると佐和山城の守備のために入城しました。
そして、関ヶ原の戦いでの西軍の敗北。東軍はそのまま佐和山城を攻め、正澄は父親の正継と共に自害しました。
正澄は弟のようにメジャーではありませんが、秀吉の側近としての取次役として重要な役割を担っていたようです。
戦国時代ブログランキング参加中!「勉強になった!」という方は応援クリックお願いします!
↓
にほんブログ村
戦国ニュース【“真田の抜け穴”公開!】 [その他]
このブログの「お城訪問記」は意外とアクセス数が少ない旨を以前お伝えしましたが、その中で桁違いでアクセス数が多い「お城訪問記」があるんです。
大阪城(真田丸)訪問記【大阪冬の陣MVPの出城は今。。】
http://sengoku-neta.blog.so-net.ne.jp/2011-01-30
ちなみに、天守閣も櫓もましてや空堀すら残されていないお城訪問記が一番アクセス多いのです。う~ん、複雑な気分。。
そんな真田丸跡にある、“真田の抜け穴”が先週ニュースになってました。
--------------------------------------------------
「真田の抜け穴」公開 三光神社で歴史イベント
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/111107/20111107018.html
大坂冬の陣で勝利した安土桃山時代の武将・真田幸村をしのぶイベントが6日、ゆかりのある大阪市天王寺区の三光神社で行われた。幸村が大阪城まで掘らせた伝説のある史跡「真田の抜け穴」が公開されるなど、多くの歴史ファンや近隣住民らでにぎわった。
大坂城の南側を守るために造られたとりで「真田丸」跡が同神社に近いことなどから、手作りの甲冑(かっちゅう)姿で幸村の活躍を啓発するNPO法人「大坂城甲冑隊」が主催。
「抜け穴」は大坂の陣のとき、幸村が大坂城まで掘らせ、脱出用に使ったなどと伝説が残り、歴史ファンのロマンを駆り立てている。
イベントでは、普段は入れない「抜け穴」を一般公開。入って数メートルで行き止まりになっているものの、来場者はかつての合戦に思いをはせていた。
ほかにも、甲冑の試着体験コーナーや殺陣の実演などが行われ、子どもから大人まで楽しんでいた。
家族で訪れた白野貴一君(11)=兵庫県西宮市=は「兵士たちが通ったかもしれない抜け穴を踏みしめることができて感激した」と喜んでいた。
------------------------------------------------------
是非とも発掘調査をしていただき、大阪城まで続いていたのか証明してほしいですよね♪
戦国時代ブログランキング参加中!「真田の抜け穴に興味ある」って方応援クリックお願いします!
↓

にほんブログ村
大阪城(真田丸)訪問記【大阪冬の陣MVPの出城は今。。】
http://sengoku-neta.blog.so-net.ne.jp/2011-01-30
ちなみに、天守閣も櫓もましてや空堀すら残されていないお城訪問記が一番アクセス多いのです。う~ん、複雑な気分。。
そんな真田丸跡にある、“真田の抜け穴”が先週ニュースになってました。
--------------------------------------------------
「真田の抜け穴」公開 三光神社で歴史イベント
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/111107/20111107018.html
大坂冬の陣で勝利した安土桃山時代の武将・真田幸村をしのぶイベントが6日、ゆかりのある大阪市天王寺区の三光神社で行われた。幸村が大阪城まで掘らせた伝説のある史跡「真田の抜け穴」が公開されるなど、多くの歴史ファンや近隣住民らでにぎわった。
大坂城の南側を守るために造られたとりで「真田丸」跡が同神社に近いことなどから、手作りの甲冑(かっちゅう)姿で幸村の活躍を啓発するNPO法人「大坂城甲冑隊」が主催。
「抜け穴」は大坂の陣のとき、幸村が大坂城まで掘らせ、脱出用に使ったなどと伝説が残り、歴史ファンのロマンを駆り立てている。
イベントでは、普段は入れない「抜け穴」を一般公開。入って数メートルで行き止まりになっているものの、来場者はかつての合戦に思いをはせていた。
ほかにも、甲冑の試着体験コーナーや殺陣の実演などが行われ、子どもから大人まで楽しんでいた。
家族で訪れた白野貴一君(11)=兵庫県西宮市=は「兵士たちが通ったかもしれない抜け穴を踏みしめることができて感激した」と喜んでいた。
------------------------------------------------------
是非とも発掘調査をしていただき、大阪城まで続いていたのか証明してほしいですよね♪
戦国時代ブログランキング参加中!「真田の抜け穴に興味ある」って方応援クリックお願いします!
↓
にほんブログ村
一個人12月号【これはすごい!ハイレベルな軍師特集!!】 [その他]
今月売りの「一個人」は戦国軍師の知略と称した特集が組まれています。
http://www.ikkojin.net/magazine/monthly/
どうせ竹中半兵衛、黒田官兵衛あたりに直江兼続や片倉景綱あたりの今風な武将を加えてお茶を濁す感じの特集かと思いきや、とんだ間違い。この特集を「歴史人」ではなく「一個人」でやったのがすごい。。
以前このブログで島津家の軍師、川田義朗についてご紹介しましたが、
http://sengoku-neta.blog.so-net.ne.jp/2011-03-21
我々がイメージしている軍略の長けた武将のみではなく、幅広い軍師が紹介されています。特集の最初では「戦国軍師の完全能力ランキング」でベスト30もの武将が紹介されています。ベスト10ではなく、30ですよ。。これくらいの武将が出てこないとマニアな読者は満足しません。有名どころでは山本勘助は19位、竹中半兵衛は23位と結構下位にランクインされています。じゃあ、上位にランクされた武将は??是非読んでみてくださいね。
ちなみにfuzzy推しメンの山中鹿之助(幸盛)は11位(!)、主君に忠義を尽くした名軍師たちという特集で登場しています。いや~、うれしいですねぇ♪
そんなわけで歴史専門誌以外では最高レベルの特集がくまれた事は間違いないです。本誌には【保存版特集】と書かれており、その名に恥じない特集が組まれていると思います。さすがのfuzzyも判兵庫、小笠原源与斎や不鉄桂文など知らない軍師が出てきました。完敗です。。。
城、軍師とハイレベルな特集を組んだ「一個人」が次にどんな特集を組んでくるか楽しみです!
戦国時代ブログランキング参加中!応援のクリックをお願いします!!
↓

にほんブログ村
http://www.ikkojin.net/magazine/monthly/
どうせ竹中半兵衛、黒田官兵衛あたりに直江兼続や片倉景綱あたりの今風な武将を加えてお茶を濁す感じの特集かと思いきや、とんだ間違い。この特集を「歴史人」ではなく「一個人」でやったのがすごい。。
以前このブログで島津家の軍師、川田義朗についてご紹介しましたが、
http://sengoku-neta.blog.so-net.ne.jp/2011-03-21
我々がイメージしている軍略の長けた武将のみではなく、幅広い軍師が紹介されています。特集の最初では「戦国軍師の完全能力ランキング」でベスト30もの武将が紹介されています。ベスト10ではなく、30ですよ。。これくらいの武将が出てこないとマニアな読者は満足しません。有名どころでは山本勘助は19位、竹中半兵衛は23位と結構下位にランクインされています。じゃあ、上位にランクされた武将は??是非読んでみてくださいね。
ちなみにfuzzy推しメンの山中鹿之助(幸盛)は11位(!)、主君に忠義を尽くした名軍師たちという特集で登場しています。いや~、うれしいですねぇ♪
そんなわけで歴史専門誌以外では最高レベルの特集がくまれた事は間違いないです。本誌には【保存版特集】と書かれており、その名に恥じない特集が組まれていると思います。さすがのfuzzyも判兵庫、小笠原源与斎や不鉄桂文など知らない軍師が出てきました。完敗です。。。
城、軍師とハイレベルな特集を組んだ「一個人」が次にどんな特集を組んでくるか楽しみです!
戦国時代ブログランキング参加中!応援のクリックをお願いします!!
↓
にほんブログ村
前の5件 | -








